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◇ ミャンマーから ただいま!
2012年03月23日 (金) | 編集 |
ミャンマーから帰ってきました!
日本には、昔なら『ビルマの竪琴』今なら『アウンサン・スーチーさん』『軍事政権の国』として知られるミャンマーです。

「今のミャンマーが見たい!」という家人の強いリクエストで旅行シーズンの終わりがけ、乾季のミャンマーへ行って来ました。
感想を一言で言うなら『ミャンマーはいいところだ。自然も人も素晴らしい』

何となく知っているようで知らなかったミャンマーについてまずはおさらい。

『ビルマ』そして首都は『ラングーン』と呼ばれていましたが、1987年に『ミャンマー』『ヤンゴン』と変更されました。
ちなみに今の首都はヤンゴンではなくヤンゴンから北に車で4時間ほど離れた政治首都『ネピドー』です(2006年より)。

これらの変更が独裁的軍事政権によって強圧的に変えられた印象があり、ミャンマー、ヤンゴンと称して良いのかと少なからず躊躇があったのですが、今回の旅行で訊ねてみたところこの変更は一般の人にとっても嬉しいことだったそうです。
「ミャンマーに変わったのではありません。英領となる以前の言い方に戻っただけ」なんだそうです。

そういうことなら、これからは大手を振って(?)『ミャンマー』『ヤンゴン』と言いましょう。
国土は日本の約1.8倍 人口は5000万人(ただし確実ではなくたぶんもっと多い)。

自然の美しさ、仏教が生活の中根強く生きている人々の暮らし、そしてガイドを務めてくれた女性ティンさんの賢くて優しい仕事ぶりに感心してすっかりミャンマーが気に入ってしまいました。
というわけで旅行記に入る前に、まず自分の覚書のために歴史をまとめてみようと思います。

野菜の色と香りでむせ返りそうな古都バガンのニャウンウーマーケット
s-DSC00980.jpg

バガン王朝最初の釣鐘型パゴダシュエジーゴン・パゴダ
s-DSC00982.jpg

パゴダにお参りに来た修学旅行生
s-DSC00983.jpg


それでは、長くなりますのでミャンマーの歴史に興味があるかたは下の〈続き〉からどうぞ。
・イギリス統治以前
Wikipediaをペーストすれば済むかもしれませんが、ここは現地ガイドさんによるミャンマーの歴史講釈(メモしたわけでもないのですでに記憶が…)と個人的認識でいってみましょう。

ミャンマーの地にはまずモンゴル族であるモン族が南部に住み着き都市国家を形成した。
北部にはピュ―族が住んでいた。
次にチベット系民族であるミャンマー族がその地へ侵入しモン族の王国を滅ぼしピュー族も移住させた。
(ミャンマーの人が南詔を中国国家とするのかミャンマーの国と考えているのかは不明。でもミャンマーの歴史と捉えている感じだったな)。

その後再び建国していたモン族の地に、北のほうからまたミャンマー人がやってきて王国を建て、モン族を滅ばした。
これがミャンマーのバガン王朝で、今もバガン遺跡として残る圧巻の仏教施設を作った。
寺院、僧院、パゴダが全盛期には4000もあり、そしてそれらはレンガで造られていたためレンガを焼く燃料として木の伐採が進んだため環境が破壊されて気候が変わってしまうほどだったそうです。

そんな馬鹿なと思うのですが、残っているだけでも2000余の寺院がまるでアフリカのサバンナのような土地で林立している風景を眺めると本当だろうなと納得してしまいます。
これが11~12世紀のこと。

そして滅ぼされたモン族は別の土地でまたまた王国を建てる。
そのほかシャン族も王朝を建てる。
ミャンマー王国もジンギスカンがやってきて滅ぼされたり、各民族の王朝間で争ったり、モン族とシャン族がミャンマー族に取って代わって国を統一したりといろいろあって、最終的には18世紀に再びミャンマー族が国を統一した。

・イギリス統治時代
隣国インド(既に英領)との争いがきっかけでイギリスとの戦争が起こり3回の戦争で3回とも負けてついにイギリスの植民地となる(英領インドの一州となる)。
王様はインドに配流された。
(以下Wikipedeaより)〈1942年、アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に戦いイギリス軍を駆逐し(ビルマ戦役の始まり)、1943年に日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国が建国された。
その後、1944年のインパール作戦の失敗など日本の敗色が濃厚とみるや、アウンサンが指揮するビルマ国民軍は1945年3月、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。連合軍がビルマを奪回すると、ビルマ国政府は日本に亡命した。
日本軍に勝利したものの、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となった。〉

日本人から見るとアウンサン将軍ちょっとずるいかも、と思ったりするのですがもちろんそんなことはありません(よね?)。
彼は独立を目前に悲劇の死を遂げたこともあり、ミャンマーでは唯一無二の英雄です。

それまで紛争が絶えず和解しようとしなかった国内の諸民族を説得し国内をまとめてイギリスに抵抗した彼は今も昔もミャンマー独立のヒーローであり続けています。
その感じはトルコに行ったときに感じたのケマル・パシャに寄せる国民の気持ちに似ているなと思いました。
娘であるアウンサン・スーチーさんへの手放しとも思える国民の人気のわけがわかる気がします。

そんなこんなでイギリスから独立したものの、すぐにカレン族やその他の民族の独立運動がおこったりして国内はまとまることがなくもうこのゴタゴタをどうするんだ~。
というところへ現れて政権を掌握したのが軍部というわけです。

その軍事政権も経済政策の失敗などから政権内の離反や民主化を求める大衆運動がおこり、国内が混乱した時に再び軍部によるクーデターが起こり、第2次の軍事政権が成立する。これ以後末民主化のリーダーだったスーチーさんは自宅軟禁。
日本では自宅の門の上から顔を見せるスーチーさんの姿はおなじみでしたが、ミャンマーではもちろんそのような映像は全く見られなかったそうです。

この軍事政権が今の政権であり社会主義国家を標榜する軍事独裁国家というわけです。
それがそれまでの強硬路線を修正してだんだんと民主化されつつあるわけですが、ミャンマーの人たちもまだまだ100%信頼しているわけではないような気がします。スーチーさんの出馬も軍部の路線に歩み寄ったものであるわけで、調子に乗って後ではしごを外されても困る…ということでしょう。

そして今度の選挙を海外が民主化の具合をはかるものとして注目していることをよく承知しています。
10年後ミャンマーは驚くほどの変貌を遂げると思います。
それが彼の地の人々にとって望ましく正しい方向であることを祈るばかりです。
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コメント
この記事へのコメント
スーチーさん
やっと解放されて・・・長かったよね。でも、まだまだ。諸外国の制裁を免れるためかなと思った。
2012/03/24(Sat) 18:00 | URL  | きょん #-[ 編集]
ふーん、日本からの観光客
増えそうですね!食べ物はどうでした???
2012/03/24(Sat) 19:05 | URL  | ハルインフィジー #-[ 編集]
to きょん
今回は補欠選挙ですからね。次の総選挙が注目でしょう。
2012/03/24(Sat) 21:28 | URL  | Jinjin #-[ 編集]
to HALさん
食文化が豊か!特に野菜が豊富で食事も野菜中心で、日本人にも合います。
(タイ+中華)÷さっぱり風味 な感じです。
2012/03/24(Sat) 21:31 | URL  | Jinjin #-[ 編集]
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